今回のブログは、終戦記念日が近いということと、前から一度行ってみたかった「知覧特攻平和会館」へ行けた興奮から、今とこれからの日本について思うことを思いつくままに書いてみたいと思います。

「知覧特攻平和会館」のことを全く知らないという日本人はいないと思いますが、とりあえず説明をWikiPediaから引用したいと思います。

知覧特攻平和会館(ちらんとっこうへいわかいかん)は、鹿児島県南九州市知覧町郡(旧川辺郡知覧町)にある歴史博物館。第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料を展示している。 2019年に、世界最大の閲覧者数を擁する旅行口コミサイトであるトリップアドバイザーが発表した「日本の美術館・博物館ランキング2019」では、博物館部門で1位となった。 (WikiPediaより)

特攻隊といえば、お盆などには必ずといっていいほど、テレビや映画などで取り上げられる話題ですね。

第二次世界大戦、大東亜戦争末期になった頃、苦肉の策として考え出された特攻。

当初は、下策であり、本人の意思を必ず確認した上で行うようにということで導入されたようですが、ドーピングにはまる運動選手のように、そのまま恒常化した訳です。

導入当初は、華々しい戦果を挙げたそうですが、そのうち連合国側も対策を立ててきて、最後には特攻以前に敵空母にまでたどり着くことも難しかったそうです。

末期においては、熟練のパイロットもいなければ、まともな戦闘機も残っておらず、実戦経験もない20歳前後の若者がオンボロの練習機のようなものまで引っ張り出して特攻させられ、連合国側のレーダーも発達していたそうですから、戦果を期待するのは難しかったでしょう。

ちなみに、特攻作戦を承認し推進したことで知られる大西中将は、8月15日のポツダム宣言受諾の次の日に遺書を残して割腹自殺したそうです。

知覧特攻平和会館

さて、平和会館の中には、特攻隊員にまつわる多くの品々が飾られ、遺書なども数多くありました。

遺書の内容自体は、過去にもテレビやYoutubeなどで知る機会があったので、ある程度どういった内容が書かれているのかは知っていました。

もちろん、親に対しての感謝と(親孝行できずに早く死に行くことへの)お詫び、残された家族に対する気遣いといった点については、心揺さぶられる点が多くあったのですが、テンプレートがあるような画一的な文章が個人的には気になりました。

あとから調べると、やはり家族への手紙であっても検閲が入っているので、本当の思いのたけを書けなかったのですね。

そういった手紙は別途、別のルートで個人的なツテを使って郵送されていたそうなので、できればそちらの本音が見える手紙を多く見てみたかったです。

特攻隊の生き残りの人達のインタビューでは、我々が思うほど「死」というものを割り切れていた訳ではなく、不平不満を飲み込んで戦闘機に乗り込み、自分の生に必死で意味を見出そうとしていたことが分かります。

当然ですが、「自分が20歳前後の時に、突然特攻を命じられたら・・・」というシチュエーションを考えずにはいられません。

九死に一生ではなく、十死零生の作戦ですから、逃げない限りは死ぬ訳です。

しかし、物理的に逃げ場はないですし、仮に逃げたとすれば残された故郷の家族が大変な目に遭う。

当時の道徳教育などを考えると、彼らに選択肢が無かったことは容易に想像がつきます。

飛行機乗りというと、今も昔も頭脳明晰、フィジカルも優秀な人がなるものですから、そういった優秀な人達を数多く失ったというのは、日本の大きな損失だったと改めて思いますね。

そういったことを悶々と考えさせられていくと、やはり「戦争はしてはいけない」という結論になります。

 

特攻隊

ただ。。。

そこで思考停止してもいけないとも思うのです。

世の中はまともな人ばかりではなく、国家にしても同じです。

ロシアや中国を見ていると分かる通り、考え方が1世紀くらい遅れているというか、物事を大局的に見えない人や国が結構いるという事実があります。

ちなみに、政治はその国の文化レベルが大きく反映するそうです。

それについて、最近に読んだある印象的だった記事をご紹介しておきたいと思います。

簡潔にまとめると

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日本が戦争に負けて、アメリカが民主主義を持ち込んだ。

そして日本はアメリカの民主主義システムを上手く消化し、世界有数の先進国となった。

その成功事例を世界中に広げようとアメリカはするのだが、2023年の現時点においても、いまだ日本のように上手く民主化出来た国はないのである。

隣国である韓国においても、三権分立しているとは言い難い状況であり、近年では「アラブの春」と言われた中東と北アフリカで発生した民主化運動においても、独裁政権を一部終わらせることは出来たが、国内の混乱を起こし、民主化の道はほど遠い状態である。

それは何故だろうか?

結論を言えば、「国民の教育や文化のレベル」が大きな影響を与えていると考えるべきであろう。

独裁政権や社会主義から一足飛びに民主化は達成できないのである。

日本においては、明治、大正という時代の中で、草の根運動のように民主化が広まっていったという下地があったので、戦後の民主主義を多くの人が受け入れることができたのである。
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如何でしょうか?

興味深い考察ですよね。

いくらインターネットが世界中で普及し、様々な考え方に多くの人が触れることが出来ようになったとは言っても、骨身にグローバルスタンダードな考え方が染み込むのは時間が掛かるようです。

結局、政治というのは、その国を構成する市民のレベルや考え方がそのまま反映するということです。(日本の現状を見ると、我々にとっても耳の痛い話ですが(苦笑)

そう考えると、世界の大国と言われる国すべてが、筋の通った考え方をし、手に手を取って地球規模の問題解決に協力できるようになるのは、ずいぶん先のことになりそうです。

 

話がそれましたが、では、そういうヤクザ国家が戦争を仕掛けてきた場合には、どうするのか?

戦争反対を叫んで、無抵抗でやられるのか?

答えは、「NO!」でしょう。

もちろん、戦争にならないようにするのが上策ですが、どうにもならない状況では、命を賭して大切なものを守るべく行動する必要があるでしょう。

その心構えというか、心の準備は日本国民としてしておくべきだと思うのです。

かえってそれが、戦争の抑止力にも繋がると思います。

要は、「舐められると損をする」という自然の摂理!?で、それは個人でも国家でも同じということです。

 

それにしても、昔は何とも思わなかったのですが、自分が良い年になってくると、親兄弟からだけでなく、地域の方々からも護られていたのだなと分かるようになりました。

子供のころはあんまり好きではなく、「あのくそババア!」と思っていた近所のおばさんですら、今では「(私が)安全に生きていけるように気にかけて下さっていたのだな」と思うのです。

そのことについて感謝の気持ちを持つことはもちろんですが、自分がして貰ったことを、これからの日本を背負っていく子供たちにもしてあげなくては!と思います。

そんな想いで日本国の為に散っていった英霊の皆様に敬礼。